私は五歳の時、脊髄にできた原因不明の腫瘍を除去する手術を受けた。それ以来、下半身完全まひの身体障がい者、車いすユーザーとなった。 立つ、歩く、走るといった動作はまったくできない。感覚も失われているから、痛さ、熱さ、寒さなども下半身はまるで感じない。排泄のタイミングもわからない。だから排泄は時間の経過をみたり、あるいは腹部を手でさわってみて、たまっていたりしたらトイレに向かう。 失われたものはそれ以外にもいろいろあるが、ひとが生きる上でもっとも大切なもののひとつ、といっていいくらい大切なものも失われた。 私は、セックスができない。. 障がい者の性、についてはもうかなり以前から書籍やネット、映像などでさまざまな意見や経験が出されている。 そういった「障がい者の性」に関する書籍、ネット情報はこれまで、自分なりにいろいろと調べてきた。私の調べた限り、性行為は障がいがあってもできる、性的感覚は得られる。あるいは代わりとなる行為もあるといった、障がい者にも性行為は可能、性的感覚が完全に失われているわけではない、といった意見を目にすることが多かった。 しかし正直に言ってしまうと、それらの意見に納得できるもの、あるいは実践できたものは私の場合見つからなかった。だからいまだに私にとって「セックス」とはなんなのか、わからないままなのである。 今回、そのことを前提として、私の「性」に関する経験、挫折、絶望についてを語ってみたい。. 小、中学生時は、心身障害者養護学校に通っていた。中学部くらいになると普通の中学生とおなじように異性を意識しはじめた。と同時に、男子生徒の間であるものが出回りはじめた。グラビア本、ビデオテープ。そういう類のものだ。同級生、先輩後輩がそれらのものを教室に持ち込み、貸し借りをした。 私も中学二年の時、はじめてそんなビデオを借りた。夜中、家族が寝静まった頃、居間のデッキにビデオを入れて再生した。画質の荒い、男女の行為が流れてきた。私の頭が熱を持ってきた。そして、こういう時に普通の男性が行う行為を、どこで知ったか記憶にないがやってみた。ここまではよかった。 ところが、からだはまったく反応しなかった。そうすることで得られるはずの快感も一切なかった。 しかし、私はあきらめきれなかった。それからは性的快感を求める日々がはじまった。 学校を卒業し、成人になってからも足掻きは続いた。インターネットが普及してからはその手のサイトを巡った。PCがクラッシュしかけるような危ないサイトも幾度踏んだか知れない。レンタルショップの奥にあるカーテンを肩をひそめてくぐり、狭い棚に詰め込まれたDVDを手に取り、その後、適当に選んだ興味もない映画のDVDをその上に重ね、男性が担当するレジに向かった。 それらにすがりながら、行為を何度も繰り返した。かなり無理なこともし、もしかしたらこれが、と思ったこともあった。だがその後ひどい吐き気におそわれ、実際吐いた。命を何年か削ってくれていいからおれにあの快感をくれないか、と真剣に神社でお参りしたこともあった。 クラスに相変わらず出回る本を夜中、布団のなかで開いた。自分の部屋にデッキをつけてもらってからは、録画した映画のいわゆるベッドシーンを何度も再生した。近所の本屋で一番いかがわしそうな雑誌を、他の本を読むふりをしながら延々2時間立ち読みしたこともあった。. また、やはりその職場で勤めていた頃、仕事終わりに先輩の男性にコーヒーを淹れるから飲まないか、と寮の部屋に誘われた。そこでコーヒーを淹れてもらっている間、つけっぱなしのノートパソコンに目がいった。ワードやエクセルといったアプリが並ぶなか、少し違和感のある見た目のアプリがあった。これなんですか、と、何気なくたずねると、ああそれエロゲーム、やっていいよ、とあっさりと返事がきた。 驚きながらも起動させると、いきなり大きな音量で女性の声が流れてきたので慌てて消してしまった。ついで疑問がわいた。先輩は自分とおなじようにそういう感覚はないものと思い込んでいたけど、もしかしてそうではないのか。あるいは自分とおなじようにもがき続けているのか。しかしやはりそれも前述の男性とおなじように、たずねることはできなかった。そうしているうちにコーヒーがきて、その疑問は頭にひっかかったまま終わってしまった。 虚しい時間を積み重ねたある夜、私は手を動かすのをやめた。それでもかすかな希望を、ひとつだけ胸底に抱きかかえていた。 好きなひとと実際に触れ合えれば、もしかしたら。. やがて、本当に幸いなことに、共に生きてくれるパートナーと出会った。 付き合いはじめてほどなくの夜、そのひとと触れ合った。私のようなものと生きていってくれるといってくれたひとなのだ。たいせつにしたかった。なにより、当然相手にも性欲はある。だから満たしてあげたかった。やがてこれが「普通のひと」が感じている性的な感覚なのか、と感じられるものがおとずれた。しかし互いに触れ合うことはできても、最後の行為だけはやはりどうしても不可能だった。 だから自分にできる限りのことをした。でも、これで本当にいいのか。このひとは満たされているのか。自分は満たされているのか。どうしてもわからなかった。いったいどうすれば互いに満たされるのか。それからもしばらくふたりで試行錯誤を続けてみたが、不完全燃焼の感は拭えず、また私が持病を患って体調を崩したことも重なり、やがて性行為自体から遠ざかるようになっていった。. 触れ合っているだけでいい。別に結ばれることばかりがすべてではない。そういった意見もたくさんみてきた。ある論文には「たいていの脊髄損傷者は、損傷以前よりセックスがより親密に、また精神的なものになった」「彼らは自分自身、そしてパートナーの身体に新しい形の喜びを見出したのである。彼らはそれを、触れ合い、愛撫し合い、お互いを探りながら見つけていくのである。」とあった(『YES,YOU CAN! 脊髄損傷者の自己管理ガイド【増補改訂】第14章 性的健康とリハビリテーション 日本せきずい基金』より)。 だが、と、私の思考はそこで迷走してしまう。それは最終的に結ばれることで得られる快感がわかるからこそそう言えるのではないか。それを最初から知らない私は、一体どうすればいいのだろう。そんな自分と生きることになったパートナー自身の性的欲求はどうしたらいいのだろう。記述にあるようなことは、私たちだってずっと続けてきた。それでも自分たちは満たされた、という完全な実感は得られないままここまできた。いったいなにを間違っていたのだろう。どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。 我ながら陰鬱だと自覚しているが、どうしてもそういう思いが拭えない。付け加えるなら、パートナーは子どもを望んでいた。だとすると尚更、結ばれる行為が必要になってくるではないか(当然不妊治療、養子縁組という方法があり、私たちもそのために動いたことはあったが、それについては別の機会があればそちらにゆずる)。. ここまで書いてきたように、障がい者の性に対する調べものはしてきたつもりだったが、ここまでストレートな言葉に出会うことはあまりなかった気がしたのだ。そしてふと気づいた。性というものについて、私はあまりに難しく考えすぎていたのかもしれない、と。 思春期に性というものの存在に気づいて以来、雑誌やDVDを観たりしつつ30年以上あがき続け、挫折を繰り返してきたからか、どうしたらそういった感覚を手にできるか、を、頭でとらえてしまっていたのかもしれない。でも、性的感覚とは脳や思考で考えるものとはまた違った領域にあるはずだ。「性とはいったいなにか」なんて哲学っぽいことをいちいち考えながらセックスするひとなんて、そうそういないだろう。 私もパートナーも、もう若いとはいえない年齢だ。でも、というよりだからこそ、もう一度ふたりで探し合ってみるべき時なのかもしれない。いつしか置き去りにしてしまったものを、もう一度探してみようか。少し勇気がいるが「どうやればいい?」と直截に話し合うことも必要だろう。また障がい者の性に関してどんな意見や体験をお持ちなのか、この記事に目を止めて下さった方々よりぜひ聞かせていただけたら、とも思う。 障がいがあるとはいえ、「ひと」としてせっかくこの世界に生まれてきた。その「ひと」にとってとても大切なものである性について、これからでも感じることができるなら、最後まであがいてみよう。もし見つけることができたら、私たちの人生にとってきっと大きな宝物、喜びになるだろうから。. twitter facebook hatebu line LINE! 生き方 障害者 悩み. 関連記事 ネットの話題. ランキング 一覧. 今月 SNS 1. 手話ってすごい 小学生のころの原体験 意思疎通できたときの喜びを求めて「もっと学びたい」. おすすめPR 一覧. CLOSE Q 取材リクエストする 記者に調べてほしいことを教えてください。 (必須). ペンネーム (必須). メールアドレス (任意) 取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください 編集部からご連絡させていただくことがございます. 利用規約 に同意する.
障害者のセックスとシェルタード・ワークショップにおける若者のセックス
Dr.鈴木の役に「勃つ」診察室|ていね泌尿器科 Teine Urological Clinic その中には、脊髄損傷による勃起中枢の障害に伴う勃起もしくは射精障害を認め、その結果子作りにも影響してしまい男性不妊に陥る患者も少なくありません。 このように女性は、性交時に非常に積極的に行為することで、相手の下半身まひ男性の勃起を長びかせることが可能となる。彼女が体操およびその他の練習で、特定の筋肉の 「セックスって?」30年以上あがいた車いすユーザー、出した答えは下半身まひ男性の実子を持つ能力についての情報はさまざまであるが、受傷後に実子を得た人が5パーセントということが、多くの報告で述べられている。ある報告では、人の下半身まひ男性が人の実子を得ている(Guttmann )。同じ報告者は、90人の下半身まひ男性の50パーセント以上は、生殖能力があると発表している。このことは、特別のテストで立証された(Guttmann )。. ペッサリーの使用について、決定的な要素は、女性がそれを挿入する能力である 。 もしその女性がハンディキャップにもかかわらず、ペッサリーを自分自身で、あるいはパートナーの協力を得て挿入できるとしても、なお多数の心理学的マイナス点がある。ペッサリーは女性に対し、あらかじめ性交の行なわれることを予見することを要求する。なぜなら、ペッサリーが有効であるためには、女性はそれを性交の前に挿入しなければならないが、あまり前すぎてはいけないからである。それは、ヴァギナの形状は、女性のオルガズムの間に変化するので、ペッサリーはそのときヴァギナの内壁に完全には密着しないため、化学薬剤を併用しなければならないが、この薬剤は、性交の1時間以上前に挿入してはならないからである。. ランキング 一覧. よく使われるタグ キーガン クローヌス コイル塞栓術 バリント症候群 ビタミン不足 ピアサポート フリーラジカル ホルネル症候群 両足の痺れ 倦怠感 共同偏視 奇異性脳塞栓症 子供 平均余命 後頭葉障害 心原性脳塞栓症 抗リン脂質抗体症候群 栄養と脳機能 治らない 爬虫類 発達障害 眼瞼下垂 神経系脊髄炎 精神的安定 縮瞳 背骨の痛み 脳の可塑性 脳底動脈解離 脳細胞 薬物療法 血管内治療 血管性うつ病 視力低下 視神経脊髄炎 視覚失認 解熱薬 言語リハビリ 言語機能回復 訓練 記憶力 趣味対策 開頭クリッピング術 集まり 非薬物療法 食事療法. 脳卒中・脊髄損傷の後遺症の お悩みや治療のご相談 お気軽にお問い合わせ下さい. 今回は、脊髄損傷における男性不妊についてまとめました。 仙髄は特に障害されやすく、神経細胞は一度損傷すると回復できないため、勃起不全や射精障害など日常生活に大きな支障をきたしてしまいます。 しかし、近年では再生医療の発達が目覚ましいです。 骨髄から採取した幹細胞を使った最先端の治療法であり、これにより今まで修復不可能と言われてきた神経細胞の再生が期待できます。 もし一度は損傷した神経も再生できれば、男性不妊の問題は解決し子作りも可能になるかもしれません。.
からだの不自由な人の明るい性生活
感覚も失われているから、痛さ、熱さ、寒さなども下半身はまるで感じない。排泄のタイミングもわからない。だから排泄は時間の経過をみたり、あるいは腹部 今回は、かやぶき職人の見習いを始めて間もなく、かやぶき屋根の足場から落下して脊髄損傷で車いすユーザーになった渋谷真子さんが登場です。現在は その中には、脊髄損傷による勃起中枢の障害に伴う勃起もしくは射精障害を認め、その結果子作りにも影響してしまい男性不妊に陥る患者も少なくありません。公共的集合住居環境を改善するひとつの方法は、関係職員の考え方を向上させることである。そのためには、職員が居住者にインタービューし、それをテープに記録して後で検討することである。このインタービューで、環境デザインの改善と、居住者と職員の関係を改善するためのヒントが得られる。この方法は、職員教育の方法として有効なことが実証されている Johanssonほか、およびLarsson,I 。. メールアドレス (任意) 取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください 編集部からご連絡させていただくことがございます. 偏見を減少させるために、それよりもはるかに効果的な方法は、テレビのあらゆるタイプの番組の中に、ハンディキャップをテーマとしてでなく、ハンディキャップのある人を自然に登場させるように扱うことである。そうすればテレビを見る人に、ハンディキャップのある人とない人々の間には、基本的な相違はないのだということを理解させることができるからである(Constantina Safilios-Rotschild)。. 今回は、脊髄損傷における男性不妊についてまとめました。 仙髄は特に障害されやすく、神経細胞は一度損傷すると回復できないため、勃起不全や射精障害など日常生活に大きな支障をきたしてしまいます。 しかし、近年では再生医療の発達が目覚ましいです。 骨髄から採取した幹細胞を使った最先端の治療法であり、これにより今まで修復不可能と言われてきた神経細胞の再生が期待できます。 もし一度は損傷した神経も再生できれば、男性不妊の問題は解決し子作りも可能になるかもしれません。. 脊髄損傷と性機能について 脊髄は神経の束のようなもので、その内部には運動神経や感覚神経、自律神経など様々な神経が通っています。 脊髄を損傷すると損傷したレベル以下の神経の交通が絶たれるため、 広範な神経障害が残ってしまう点で脊髄損傷は厄介な病気 と言えます。 脊髄は頸部の頸髄、胸部の胸髄、腰部の腰髄、仙骨部の仙髄と高さごとに名称や機能が異なります。 例えば、腰髄が損傷した場合は脳からの運動の指令が下肢に伝えられなくなり麻痺が出現し、下肢からの感覚を脳に伝えられなくなり下肢の感覚障害が出現します。 またそれ以下のレベルである仙髄の機能も、損傷した腰髄の影響で脳との交通が絶たれているため障害されてしまいます。 頸髄が損傷した場合はさらに厄介で、頸髄が支配する上肢の運動や感覚はもちろんのこと、それ以下の胸髄が支配する内臓神経や自律神経、腰髄の支配する下肢の運動や感覚、さらには仙髄の機能も含めて広範な神経障害が出現する のです。 逆に言えば、最も下位のレベルに存在する仙髄は脊髄損傷において非常に障害されやすいと言えます。 では仙髄とはどういった役割を担っているのでしょうか? 仙髄の主な役割は下肢の一部の感覚支配と、排尿や排便、勃起や射精などの性機能に関与 しています。 つまり脊髄損傷に伴う仙髄の障害は、性機能に障害が生じる可能性があるということです。 では具体的にどういった機序で性機能障害が出現するのか解説していきます。. 手話ってすごい 小学生のころの原体験 意思疎通できたときの喜びを求めて「もっと学びたい」. 関連記事 医療に関する様々な情報ブログ. このように女性は、性交時に非常に積極的に行為することで、相手の下半身まひ男性の勃起を長びかせることが可能となる。彼女が体操およびその他の練習で、特定の筋肉の訓練をすることで、そのような向上した性交能力を持つことが可能である(O'Relly 。. ペッサリーの使用について、決定的な要素は、女性がそれを挿入する能力である 。 もしその女性がハンディキャップにもかかわらず、ペッサリーを自分自身で、あるいはパートナーの協力を得て挿入できるとしても、なお多数の心理学的マイナス点がある。ペッサリーは女性に対し、あらかじめ性交の行なわれることを予見することを要求する。なぜなら、ペッサリーが有効であるためには、女性はそれを性交の前に挿入しなければならないが、あまり前すぎてはいけないからである。それは、ヴァギナの形状は、女性のオルガズムの間に変化するので、ペッサリーはそのときヴァギナの内壁に完全には密着しないため、化学薬剤を併用しなければならないが、この薬剤は、性交の1時間以上前に挿入してはならないからである。. ホーム 情報アクセス 世界の動き 協会発ジャーナル 調査・研究 会議・セミナー 法律・行政 ホーム 協会発ジャーナル リハビリテーション研究 「リハビリテーション研究」年1月 第9号 からだの不自由な人の明るい性生活. ほかの若い人と同様、施設にいるからだの不自由な若い人も、性的な問題を抱えている。ある施設で、からだの不自由な大ぜいの生徒について行なった未発表の調査によれば、性的な知識が、からだの不自由でない生徒よりもかなり低いことがわかった(Maj-Briht Bergstrom-Walan)。からだの不自由な若い人の、性について知りたいという欲求が応じられていないのは、たぶん、たとえば、この種のハンディキャップは、性的欲求や性的機能を妨げるものではない、ということをよく知らない教師に責任があるのであろう。. マスターベーションが、男の子にも女の子にも正常な行為であるということは、今日ではしだいに広く受け入れられている。それは、思春期やティーン・エイジの若者、ことに男の子に多く、強烈な性的欲求を持ちながら、それを合法的に満足させる機会の少ない若者の間にさかんに行なわれている。異性との接触を容易に持てない子どもや若者、施設の中にいる若者やおとなにとっては、マスターベーションは、性的満足を得る唯一の方法であることが多い。マスターベーションは、罪の意識を伴うときにのみ危険となる。そしてそれは、通常は自然発生的には起こらないもので、環境から罪の意識を持たされるときに、悪影響が起こるのである(Ulf Otto)。. 純粋に技術的には、下半身まひの女性は、男性の下半身まひ者よりも容易に性交することができる。女性は性交に積極的行為をしなければならないということはないからである。そのような女性の一部の人は、オルガズムの主観的な感覚を持たないけれども、相手の男性を満足させる点では完全に有能である(Guttman )。. 生き方 障害者 悩み. CLOSE Q 取材リクエストする 記者に調べてほしいことを教えてください。 (必須). 法律を制定することは、ハンディキャップのある人を、実際生活面で差別扱いするのを防止する補助的な効果はある。しかし、差別の原因を作る社会的および情緒的な問題に対しては別の方法で攻撃しなければならない(Constantina Safilios-Rotschild)。. 年齢と地域の選択 年齢を選択 10代 20代 30代 40代 50代 60代 70代 80代 地域を選択 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 新潟県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 岐阜県 静岡県 愛知県 三重県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県. 脊髄損傷者の自己管理ガイド【増補改訂】第14章 性的健康とリハビリテーション 日本せきずい基金』より)。 だが、と、私の思考はそこで迷走してしまう。それは最終的に結ばれることで得られる快感がわかるからこそそう言えるのではないか。それを最初から知らない私は、一体どうすればいいのだろう。そんな自分と生きることになったパートナー自身の性的欲求はどうしたらいいのだろう。記述にあるようなことは、私たちだってずっと続けてきた。それでも自分たちは満たされた、という完全な実感は得られないままここまできた。いったいなにを間違っていたのだろう。どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。 我ながら陰鬱だと自覚しているが、どうしてもそういう思いが拭えない。付け加えるなら、パートナーは子どもを望んでいた。だとすると尚更、結ばれる行為が必要になってくるではないか(当然不妊治療、養子縁組という方法があり、私たちもそのために動いたことはあったが、それについては別の機会があればそちらにゆずる)。. ここまで書いてきたように、障がい者の性に対する調べものはしてきたつもりだったが、ここまでストレートな言葉に出会うことはあまりなかった気がしたのだ。そしてふと気づいた。性というものについて、私はあまりに難しく考えすぎていたのかもしれない、と。 思春期に性というものの存在に気づいて以来、雑誌やDVDを観たりしつつ30年以上あがき続け、挫折を繰り返してきたからか、どうしたらそういった感覚を手にできるか、を、頭でとらえてしまっていたのかもしれない。でも、性的感覚とは脳や思考で考えるものとはまた違った領域にあるはずだ。「性とはいったいなにか」なんて哲学っぽいことをいちいち考えながらセックスするひとなんて、そうそういないだろう。 私もパートナーも、もう若いとはいえない年齢だ。でも、というよりだからこそ、もう一度ふたりで探し合ってみるべき時なのかもしれない。いつしか置き去りにしてしまったものを、もう一度探してみようか。少し勇気がいるが「どうやればいい?」と直截に話し合うことも必要だろう。また障がい者の性に関してどんな意見や体験をお持ちなのか、この記事に目を止めて下さった方々よりぜひ聞かせていただけたら、とも思う。 障がいがあるとはいえ、「ひと」としてせっかくこの世界に生まれてきた。その「ひと」にとってとても大切なものである性について、これからでも感じることができるなら、最後まであがいてみよう。もし見つけることができたら、私たちの人生にとってきっと大きな宝物、喜びになるだろうから。. 脊髄損傷後の男性不妊に対する対応 では、脊髄損傷に伴う男性不妊に対してどういった対策が取れるのでしょうか? 勃起はできても射精ができない以上は男性不妊は解消されませんが、近年は医療の発達に伴い、精巣から精子を取り出して顕微鏡下で受精させる技術が存在 します。 これにより、射精が障害され精子の質が低下した男性でも 高い妊娠成功率を保つことが可能 になりました。. 多くの下半身まひの男性は、このように、相手の女性が性交についてじゅうぶんに積極的であることを条件として、相手を性的に満足させる完全な能力を持っている。このことは、必然的に、性的役割の入替えの必要性を示している。そのためには、女性のほうが常に性交についてイニシアチブをとり、積極的に行為し、相手の男性をリードしなければならない。このような場合、その女性には、性生活における彼女の新しい役割に、うまく適応するのを援助するための情報を与えることが必要である Krusenほか 。. お名前 Email・TEL 年齢・内容 年齢と地域の選択 年齢を選択 10代 20代 30代 40代 50代 60代 70代 80代 地域を選択 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 新潟県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 岐阜県 静岡県 愛知県 三重県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ご相談内容を入力 送信前に プライバシーポリシー 別タブが開きます を必ずご確認下さい。 個人情報保護方針に同意します。 前へ. 日経BPソーシャルサービス:リゾーム に登録すれば、日経xwomanをより便利で、楽しくお使いいただけます。 コメントを書いて議論に参加 お気に入り連載の新着をお知らせ アンバサダーブログの投稿やラウンジの議論を見逃さない 登録は 無料 です 利用登録する リゾームとは. バックナンバー Go Beyond Borders! 離婚の背景を調べると、ハンディキャップのないパートナーが、相手のハンディキャップを受け入れ難いと考えていると見られるような原因ではないことは、決定的に明白であった。離婚のいくつかの例では、結婚そのものが早急すぎたのであったり、ハンディキャップのない人の側に愛情以外の理由から結婚した事情が見られた。そして、夫婦以外の人に対して性的関心を抱いたのが原因で離婚に至った例が非常に多かった。そのほか、ハンディキャップのある人で、相手に逃げられた後、その状態をうまく乗り切って、男性も女性も非常に多くの人が再婚しているという新事実も発見された Guttmann このような問題は、子どもをあきらめるように親に勧告するだけでは解決できない。おそかれ早かれ子どもを施設に入れるしか方法がないばあいであっても、親は親たることを放棄すべきではない。そうでないと、施設の多くは親との接触を失うことになるが、この接触は、子どもや青少年にとってきわめて重要なものなのである。Johannesdal ナーシング・ホームにおける研究によれば、「子どもをどこかのナーシング・ホームに入れて忘れてしまえ」式の不適切な情報を持った親が、適切な情報を与えられた親よりも、いかに子どもとの接触が少ないかを明白に示している(Karin Sigvardsson)。施設に入居している子どもが、学校の課程や職業訓練を終えたときは、多くの親はもういちどその子を家庭に迎え入れてめんどうをみるべきである。親と子の間に継続的な接触がないと、無数の困難な問題を作り出すことがあるからである。.